「やっぱりね。やっぱり先生も学歴が大事と思ってるんやろ。」
と、よっちゃんは真剣に、そして素直に言いました。
「ああ、そうさ。先生は学歴が大事じゃないとは言ってないよ。」
「じゃあ、どういうこと?」
「学歴だけが大事ということはないってことを言いたいのさ。」
「センセの話、ようわからんわ。」
クラスの子ども達の多くも、よっちゃんに賛成という顔をしています。
理論派よっちゃんは続けます。
「おかあちゃんは、アリとキリギリスやと言うとったよ。
今、苦労しとけば、大人になってから楽できると言うんや。
それになあ、センセ。
僕が大学行っとらんで、もし、学校の先生になりたいと思ったら・・。
その時はどうなるん?
やっぱ、僕も勉強はすかんけど、大学行っとかな、いけんような気もするで。」
僕は少し考えて言いました。
「うーん、イソップの話で言うとなあ。
長いくちばしの鶴はコップの水は飲めたけど、お皿の水は飲めんかったぞ。
学歴はくちばしと一緒や。
必要な時もあれば、長すぎて困る時もある。」
我ながら「けっこう、うまいたとえ」だなあと思ったのもつかの間・・。
よっちゃんが言いました。
「先生、おかしいで。あれ、鶴が勝つお話やで!!」
クラスから声があがります。
「そうそう、狐が負けて、最後は鶴が勝つんや。」
「そうや、そうや、先生の負けや!」
ありゃまあ、いつの間にか「勝ち負け」の問題になってしまいました。
「先生はこう思うんや。
確かに、今の世の中、学歴がないとつけない職業があるよ。
また、それだけ専門的に勉強しないとできない仕事があるよ。
その意味では学歴は仕事を決めてしまう場合もあるかもしれない。
けどなあ、学歴は生き方までも決めてはしまわない。
人生で大切なのは仕事じゃないさ。
生き方なのさ。
そう思ってるなあ。」
僕はそう言いました。
言いながら、詭弁だ、そう思いました。
ごまかしている、そう思いました。
僕の言いたいことに嘘はないのです。
しかし・・・。
しかし、実もない。
自身はこの考えに納得しているのだけれど、説得力はゼロに等しい。
9年の時が経ち、僕は教員をやめました。
やめる時、よっちゃんとのやりとりを思い出しました。
「人生で大切なのは仕事じゃない、生き方だ。」
僕が発した言葉は、やまびこのように9年後の僕に戻ってきました。
そしてさらに9年が経ちました。
「では、人生で大切な生き方とは何?」の答えを出そうともせずに、
あいかわらず、緊張感のない生活を送る「2児の父」。
「理論派よっちゃんの学歴論争」は問いを変え、答えを変えながら、こだま
する、僕にとっての終わらぬ自問の出発点だったのです。
(了)