「どうだい日本は? 何か質問はないかい?」と廊下で僕は問いかけました。
平田さんはブラジルからの転入生です。
彼女自身はずっとブラジルで育ちました。
そして僕が勤めている小学校の6年生に転入してきて3日がたっていました。
「先生、不思議なことがあります。」
彼女は真剣な眼差しで僕を見ながらつづけました。
「なぜ、日本の学校では子どもに掃除をさせるのですか?」
意表をつかれた僕は逆に質問しました。
「えっ、ブラジルでは子どもが掃除しないの?」
「はい、私たちは学校に学習に行きます。
掃除を習うために行くのではありません。」
「へぇ、では誰が学校の掃除をするの?」
「掃除会社の人が来て掃除をします。」
僕は子どもが掃除をすることは当然だと思っていたのです。
「うーん、学校で自分が汚した分は自分が掃除するのは当然だとおもってたんだけどなあ。」
「では先生、図書館や美術館でも利用者が掃除をするのですか?」
「いや、そうじゃないなあ。」
「では、学校だけが特別なんですか?」
「学校では掃除をすることによって協力や物を大切にする気持ちなどを身につけようとしているんだ。」
「先生、そのような気持ちは掃除をしなくても身についているはずです。
家庭や教会で学んでいます。
日本の学校は汚いです。
ゴミが多いです。
結局、自分が掃除するんだから汚してもいいと思っているからじゃないですか。
ブラジルでは掃除をする人が困らないように、なるだけ汚さないようにしました。
だから、きれいでした。」
僕は、まいったなあと思いました。
そして「外国はすごいなあ、日本の子どもが外国に行ってこれだけ意見を言えるかなあ。」と思いました。
周りで僕と平田さんのやりとりを聞いていた子ども達も驚いたようでした。
「平田さん、すごーい。」感嘆の声があがりました。
掃除一つにしても、僕は明確な指導方針を持てない情けない教員でした。
あらためて、教育活動に対するビジョンをはっきり持つべきだと反省させられました。
そんな時、物まねの上手な植田君が政治家のような口調で言ったんです。
「さて、先生がお困りのようですから、私がかわりに申し上げましょう。おっほん。」
平田さんだけじゃなく、周りの子も、僕も植田君に注目しました。
植田君は「ちょっと待っててね。」と言って教室に入っていきました。
その(2)につづきます。