ブラジルからの転入生、平田さんは学校で子どもがそうじをさせられることに異議を唱えました。
ブラジルでは掃除会社の人がするのだそうです。
それに対して植田君は僕がお答えしましょうと言って教室から何かを持ってきたのです。
植田君が持っていたのはぞうきんでした。
「平田さん、このぞうきんを見てごらん。
すりきれてぼろぼろだろ。」
植田君は大人のような口調で語りました。
ぞうきんは確かにすりきれてぼろぼろでした。
「これは、僕が一生懸命そうじをした証拠なんだ。
僕はすりきれるまで、力をこめてそうじをしたんだ。
そして、その後の気持ちと言ったら、とてもさわやかなんだ。
やったぞって感じだね。
僕にふかれた廊下や床は喜んでるんだ。
僕もさわやか、校舎も喜ぶ。
このさわやかさを知らない人は損だねぇ。」
「植田君もすごーい」と周りの子ども達が言いました。
「植田君、すてきだわ。」と平田さんは言いました。
僕も植田君を見直しました。
次の日、植田君と話しました。
「よく、あんなセリフがパッとひらめいたなあ。先生もびっくりしたなあ、すごいぞ。」
「へへへ、実はあれ、物まねなんや。」
「えっ?」
「5年生の時の有山先生があんなふうに僕らに言ったんや。」
「そうか、そうだったのか。」
「うん、僕、有山先生の物まねやったら、ようけできるよ。」
僕は有山先生がうらやましくなりました。
そして、その晩、有山先生に話を聞きました。
有山先生は僕に教えてくれました。
「私はたくさんの教育を見てきた。
教科でも生活でも家でも社会でも全部一緒だと思った。
それは5種類に分けられる。
感化、示唆、奨励、要請、強制。
君がどれを選ぶか、それだけのことだよ。」
そうじの話題が当時の僕にいろんなことを教えてくれたのです。
世界は広いということ。
価値観は多様であるということ。
教育にはビジョンが必要だということ。
感化、示唆、奨励、要請、強制という教育の目盛りを意識すること。
そして現場にたくさんの研修内容がころがっている教員はとても幸せだと思いました。
教員をやめた今も、僕の暮らしの中で知恵として生かしていこうと思っています。