僕の知人に映画が大好きな先生がいます。
彼の名は白沢先生。
年間に最低でも100回は観るというほど好きなのです。
それも映画館での鑑賞回数なのですから驚きです。
今はレンタルビデオショップがどこの町にでもあるというふうに普及しています。
けれども、ほんの15年くらい前は僕の町にはそんなお店はなかったのです。
だから、映画は映画館まで足を運んでみるものだったのですね。
その当時なら、白沢先生の映画館通いも理解できるのですが、、。
「白沢先生、レンタルビデオは借りないんですか?」
と僕は聞いてみました。
「いいえ、けっこう利用してますよ。」
「でも、今でもずっと映画館通いをしてるんでしょ。」
「ああ、そうです。ビデオと映画は全然違うんですよ。」
「やっぱり、画面の迫力の違いですか?」
「ああ、それも違いますね。」
「じゃあ、音とか、会場の暗さとかそんな違いですか?」
「ああ、それも違いますね。段違いです。」
「とにかく迫力の違いが映画館通いのエネルギーなんですか?」
「うーん、そうじゃないんです。なんて言うのかなあ、、。」
白沢先生は、にこにこしながら腕を組みました。
そして、ぴったりの言葉を探しているようでした。
白沢先生は僕より年上なのですが、いつも僕にていねいな口調で話をしてくれるのです。
そして、やわらかく、しかも慎重に言葉を選んで話してくれるのです。
「そうそう、映画は『天の配剤』なんですよ。」
「えっ『天の配剤』ですか?それは、どういう意味なんですか?」
「そうですねえ、ビデオは手軽なんですよ。」
「そうですよね、だからこれほど爆発的に普及したんでしょうね。手軽さが悪いんですか?」
「いえいえ、手軽さが悪いんじゃないんです。それは、もちろん、ひとつのメリットです。」
「ビデオだと観たい時に観ることができるし、とてもいいと思うんですけど、、。」
「そこなんです。映画の良さは!
観る時を選べない、ということにあるんです。
まさにそれが『天の配剤』なんですね。」
白沢先生は「選べない良さ」があると言いました。
それが「天の配剤」だと言いました。
僕はすべての場合で「選択の自由」こそ重要だと思っていましたから、違和感を覚えました。
けれども、この映画談義はその後の僕の教育観に大きな影響を与えてくれたのです。
(その2)に続きます。
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