「避けてきた道(1)」-2000/1/13-

 最近、皇太子妃雅子さんについての報道が物議をかもしました。
妊娠という極めてプライベートな話題に対して過熱気味な報道があったという意見。
また一方で皇位継承という観点からプライベートではない、という意見。
見込み報道でフライングだったという意見。
様々な意見が飛び交いました。

 僕は皇室に関する報道がなされるたびにあることを思い出すんです。
それは教員として恥ずかしい思い出なのです。
そして、これからもずっと続くことだと思うんです。
その場面を僕はありありと思い出すのです。

 それは僕が6年生を担任した時のことでした。
人権学習に取り組んでいた授業中のことです。
「身分差別」「人種差別」「男女差別」などいろいろな差別の醜さを論じ合っていたのです。
そして「人間は生まれながらに平等な権利を持っている。」ということを学習していたのですね。
6年生ですから、かなり知識も豊富でしたし、自分なりの考えも持っていて白熱していました。
また、学級の中にも目を向けていき、無意識の差別がないか、という展開もしていきました。

授業も終盤にさしかかった時です。
突然ある子(仮に良子さんとします)がこう言ったんです。
「先生、じゃあ天皇陛下も同じなの?」

僕はきょとんとしてしまいました。

すると他の子たちが言いました。
「今、天皇陛下のことを話し合ってるんじゃないやん。関係ないやん。」
「差別されて苦しんでいる人達のことだから天皇陛下は関係ないと思います。」

我にかえった僕は言いました。
「ちょっと待てよ、良子さんの意見を聞いてみようよ。」

「はい、人間は平等だとしたら天皇陛下も平等なはずです。
でも、私には平等とは思えません。
これも差別じゃないですか。」

 実際、僕はハンマーで打たれたような気がしました。

 授業の流れから、差別に苦しむ人達の心情に迫っていくつもりだったのです。
まさか「天皇制」が話題になるとは予想できなかったのです。
「まいったなあ」これが僕の感想でした。
子どものせっかくの発想をやっかいに思ってしまったのです。
その子の思考の鋭さに感心する余裕もなかったのです。

 その時です。
天の助けがあったのです。
授業の終わりを告げるチャイムが鳴ってくれたのです。
ボクサーがゴングに救われたという表現を使いますが、まさにそれでした。

「良子さんから、また一つの疑問が出されたぞ。
 今日は時間が来てしまったので、また明日、続きをしような。」

ゴングに救われた僕は明日までに何とかしなければなりませんでした。

その2に続きます)



ご意見ご批判は今すぐメール
あなたのご意見などはHPやメールマガジンにて紹介する場合があります。
その際はすべて匿名とします。

ホームへ       語句別索引へ