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■「聴診器のある風景(1)」 -2000/05/29-
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目の前にいるお医者さんが僕に言いました。
「ありゃあ、娘さんの次はお父さんですか!
 子どもの頃にかかってなかったんですね。
 うーん、残念ながら、おたふく風邪の薬というものは今の医学では作れていないんですよね。」

微熱が出始めた僕は聞きました。
「えっ。薬がないってどういうことですか?」

「例えば、熱が出れば熱を下げる薬はあるんですよ。
 また、ハレがひどければ、それをやわらげる薬もあるんです。
 いわゆる対症療法というものです。
 しかし、おたふくのビールスそのものをやっつける薬はないんですよ。」

「はあ、、わかります。」
「で、結局、ビールスをやっつけるのは患者さん本人なんです。
 私たち医者はその患者さんが持っている治癒力を引き出すお手伝いをするだけなんです。
 患者さんがその力を発揮しやすいようにお手伝いするのが医者の仕事なんです。」
「はい、、。」
「大人になってからのおたふくはひどい場合が多いです。
 どうぞ、頑張ってくださいね。」

そう言ってお医者さんは僕の胸に聴診器をあててくれました。

考えれば、お医者さんの言葉は僕たち保護者と子どもとの関係を表しているようでもあります。
僕たちが教育を通して「子どもに力を与えている」と考えること、それは傲慢なのかもしれません。
本来その子が持っている力を引き出す手伝いをすること、それが本質であり、限界なのかもしれないです。
きっと、その本質や限界を理解して子育てをすることが大切なのでしょう。

ところが僕はついつい「この子にこんな力をつけてやろう。」とか思ってしまうのです。
そして、成果が上がれば「おお、僕の方法がよかったぞ。」なんて思ったりします。
ひどい時は「自転車に乗れるようになったのはお父ちゃんのお陰だよな。」なんて言ったりします。
結局、変な言い方ですが、子どもから手柄を横取りしてしまう癖があるのですね。
これは、多いに反省すべき点だと思っていますが、どうもなかなか修正できません。
ついつい、いばった姿勢になってしまうのです。
僕は、今お医者さんが教えてくれた「力を引き出すお手伝い」に学ぶものがあるぞと感じました。

聴診器を僕の体からはずして、お医者さんは言いました。

「胸の方に異常はないですね。
 あやしい音は聞こえませんから、今のところ心配いりませんよ。」

そこで、僕は思ったのです。
「あっ、僕の子育てには聴診器がなかった。」と、、。

その(2)に続きます。



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