けれども、はっきり言って意味がよくわからないって感じがします。
屁理屈をいえば、生きている人はみんな「生きる力」を持っているとも言え
るでしょう。
そして、どんなふうにテーマを変えようとも「評価」と「受験という競争」
が控えている限り、「生きる力」も点数化されてしまう運命にあると僕は思
うんです。
そうなると、その時点で「生きる力」ではなくなってしまいます。
皮肉的な言い方をすれば、「生き残る力」となってしまうんです。
僕は父として、子ども達に「生かす力」を身につけてもらいたいと思ってま
す。
自分が「今、好きなこと」を「今、楽しむ」ための力・・。
それを、僕は「生かす力」と呼びます。
そして、家庭こそ、この「生かす力」を身につける最適の場だと思うんです。
例えば、ある子が大の昆虫好きだったとします。
学校は、充実したカリキュラム・設備機器を持ち、先生という専門家がいる優
れた教育機関だと思います。
けれども、学校では、その子に昆虫漬けの学習をさせてあげることはできませ
ん。
そんなことは時間的にも不可能だし、学校はそういう役割の機関ではないから
です。
でも、家庭ならそれが可能です。
1日中、虫眼鏡をのぞくことも可能です。
朝から晩まで虫を追いかけることもできます。
その瞬間が、その子にとって、自分を生かしている瞬間のひとつだと言えない
でしょうか。
では、具体的に保護者はどんな手だてをとれるのでしょうか?
それは、各家庭、各子どもによって千差万別だろうし、どの方法がよくて、ど
の方法が悪いなんてものでもないでしょう。
けれども、いろんな実践例を知ることにより、家庭なりの独立した教育ができ
る可能性はあります。
僕は「好きなことを学ぶ」と「好きなように学ぶ」を混同してはならないと考
えています。
次回はある方の実践例をもとに、そのような観点からも「生かす力」について
考えていきたいと思います。