「先生は、学校でいろんな体験をしてもらいたいな。嫌なことや、おかしい
なって思うことも体験してほしいな。そして、がまんしたり、強くなった
りする力を身につけてほしいな。」
と話す担任の先生。
しかし、ご両親はこの先生の言葉に、ある種の違和感を覚えます。
「娘が学校に感じているおかしさは『体験し、がまんする』べきものなの
か?それによって『強い』子になるべきなのか?変わらなければいけない
のは娘なのか?」
ご両親はM子ちゃんにこう言います。
「心配はいらない。学校に行かなくてもいい。先生のように上手には教えら
れないけど、勉強は家で教えてあげる。」
一つの家庭教育・独立宣言だと僕は思います。
そして、ご両親はそのために大きな決断をされます。
それは、ご両親のどちらかが仕事をやめるということでした。
おふたりとも10年以上働いてきた勤め先だそうです。
それを、どちらかがやめようというのです。
「総理大臣だってやめれば、次の誰かが替わりになる。
今やってる自分の仕事も替わりがいる。
けれど、娘の親の替わりは誰もできない。」
そう考えたのだそうです。
ご両親のどちらが仕事をやめられたのか、僕にはわかりません。
しかし、いずれにしても、大きな大きな決断だと思います。
M子ちゃんのご両親は日課表を作ります。
教科書を見ながら、算数と国語はお母さん、社会はお父さんというふうに
先生を決めていったそうです。
毎日、午前中に1時間30分、教科の学習を進めていきます。
「何を教えたらいいのか、さっぱりわからない私たち夫婦は、教科書に
頼るしかなかったのです。」
そう、お母さんはメールに書かれていました。
しかし、M子ちゃんの家庭では独特のものがありました。
学校を拒否する上では、自己の考えを主張したM子ちゃんでしたが、実は
人前で自己表現するのが苦手な子だったのです。
ちなみに、ご両親もあまり積極的な子ではなかったそうです。
自己を表現する素晴らしさを知ってもらいたいと考えたご両親は、「絵」
を家庭教育の柱にしました。
もともと「図工」が好きだったM子ちゃん。
毎日の午後を「絵」を描く時間にしたのです。
その活動は「おうち学校」と名付けられました。
5月のある日、M子ちゃんは図書館の掲示板にあった「子どもスケッチ大会」
参加者募集のポスターを目にします。
それは、山の中でのスケッチ大会でした。
「私、スケッチ大会に応募したい。」
春のさわやかな日、M子ちゃん一家は画板をかかえ、スケッチ大会にのぞみま
す。
お弁当を食べ、風を受けながらのスケッチ。
「実に充実した1日」だったそうです。
数日後、「入賞通知」が届きます。
力強い木々を描いたM子ちゃんの作品は入賞をはたしたのです。
表彰式の日、ご両親の目には涙が光りました。
「学校は、いい人と悪い人を決める所で、支配する人とされる人に分けられる
所みたい。」・・・。
なぜ、M子ちゃんがそう言ったのか、もちろん僕にはわかりません。
その理由を探ることで解決できる問題もあっただろうし、そうすることが実は
大切なのかも知れません。
メールを拝見した限りではご両親も積極的に理由を探ろうとはしていません。
しかし、逆説的な表現になってしまいますが・・、だからこそ、僕にはご両親
とM子ちゃんで始めた「おうち学校」の取り組みが生き生きと輝いてみえるの
です。
「おうち学校」・・・。
今のM子ちゃんにとって本当に必要な学校だったのでしょう。
家庭教育の独立の仕方の一つとして、家庭の中に学校を取り込んでしまうとい
う「おうち学校」。
またひとつ、家庭教育・独立宣言の方法を教えてもらいました。
次回は、これまでにご紹介した例とは少し違う方法で、独立をめざした女の子
のことをご紹介します。