はいつさんのお考えには共感することも多いのですが、今回は少し
異を唱えたいと思います。
私は小学校と中学校に通う子どもを持つ父で、小さな剣道の道場を
開いています。
私は子どもの教育を学校まかせにはしていません。
私だから出来る子育てをと思い、子供とともに剣道で汗を流してい
ます。
幸せについては次のように考えています。
暗闇があるからこそ光のありがたさがわかる。
つまり、不幸という辛さがあるからこそ、幸せのありがたみがわか
る。
もちろん、我が子に不幸をと願う親はいません。
私は、剣道修行を通して辛抱を教えているのです。
「辛抱」は辛さを抱えると書きます。
辛さから逃げるのではなく、抱えるのです。
それは次に来る幸せという明るさへつながるものです。
辛抱の時期を経験させる、親としても辛いことだけれども、子ども
に辛い修行を体験させるということは、次へのばねなのです。
私の子ども達も教え子たちも、たとえば冬の寒稽古をくぐり抜けて
たくましくなっていきます。
そのたくましさは幸せな笑顔になってあらわれます。
道場生の中には不登校の子もいます。
私は学校に行けとは口が裂けても言いません。
道場の辛さを耐えることが出来れば、一人前の人間になれると確信
しているからです。
剣道に限らず何でもいいです。
辛抱することを子どもに教えることが幸せを教えることだと思いま
す。
そして、大人の義務だと思います。
はいつさんのお考えは辛抱を否定しているように思えるのです。
私の誤解かもしれませんが、そう感じました。
これからも、発行を楽しみにしています。
では、失礼します。
*********************************************
田宮さん、どうもありがとうございました。
次回も、あるお父さんからのご意見です。
(No.21へ続きます)