僕は、教育コラムを発信していて得をすることが多いです。
まず、自分の考えを再確認できることです。
そして、いろんな方からご意見をいただき、深めたり、広げたりできることです。
思いもよらなかった視点からのご意見もたくさんいただきました。
また、ご感想の中に、まさに「ハッとさせられる言葉」を見つけることがあるのです。
素敵な言葉に出会うと、大げさに言えば人生が変わっちゃうような気もします。
言葉との出会いによって物の見方が180度変わっちゃうこともありませんか?
以前にご紹介したN元先生の言葉もそうでした。
「『先生』は『先に生まれた人』ではない、『子どもの先を生む人』だ。」
まさに、さわやかなショックを受けた言葉でした。
詳しくは http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/suteki1.htmをご覧下さい。
今日、ご紹介する言葉は、いつかの日か子どもに伝えようと思っている言葉です。
その言葉は、やはり、いただいたメールの中に書かれていたものです。
差出人はOさん、内容は職場での人間関係のことでした。
僕が発信したコラム「しょうもない3年間」に対するご感想だったのです。
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums\3nennkann.htm
)
Oさんは同じ職場の方との関係で心に傷をおっていたらしいのです。
僕たちも、同様ですよね。
いろんな形で人を恨んだり、傷つけられたり、傷つけたり、、。
子ども達もそうでしょう。
いろんな人との出会いは、喜びだけでなく、いろんな哀しみも味合わせてくれるものです。
Oさんはそのことを「心にガラスの破片がささっているみたい。」と書いていました。
振り返れば、僕もたくさんのガラスの破片がありました。
また、たくさんの人にそんな思いをさせたことだと思います。
そして、ずいぶん時が経って、またOさんからメールをもらったのです。
そのメールには解決に至る過程につけ加えて、こう書いてありました。
「ガラスの破片ではありませんでした。氷の破片だったようです。」
僕は、ハッとしました。
「そうだ、僕らの苦しみや悩みは結局すべて氷の破片なんだ。」
そう思ったのです。
そして僕の中のガラスも氷となって溶けました。
子ども達は大人から見ればたわいのないことで悩みます。苦しみます。
僕はついつい「そんなつまらないことで悩まなくていいじゃないか。」なんて言ってしまうのです。
もちろん、それでよかった場合もあるでしょう。
しかし、それは多くの場合、間違った処方箋だったような気がします。
僕のそんな言葉は子どもには通用しなかったことでしょう。
「大人はわかってくれない。」そんな不信の種をせっせとまいていたのかも知れません。
僕は考え方を変えました。
今後もし、子どもが悩んでいる場面にあえば、僕はそんな接し方はしないでしょう。
僕がそんな子どもに伝えたい言葉は「氷の破片」です。
「君の悩みはわかる。
今の君にとって、その悩みはこころにささったガラスの破片のように思えるだろう。
けれども、僕はたくさんの悩みを味わった先輩として学んだことを伝えたい。
実はその破片は「ガラス」ではなく「氷」でできているんだ。
今は固く鋭く君を刺しているだろう。
しかし、きっといつかは溶ける。
だから、絶望は悩みの解決にはならない。」
そう言おうと思っています。
僕はコラムを発信していて本当によかったと思っています。
みなさん今後とも、どうぞよろしくお願いします。
(了)