僕の知人の息子さん(小4)が「自分のクラスが学級崩壊だ。」と言いました。
そして「その証拠がある。」と言うんです。
「授業中にいつものやつらが騒ぎ出したんよ。先生が注意しても聞かんのんよ。」
僕はちょっと不謹慎ですが興味津々で彼の話を聞きました。
ちなみに最初は標準語でかしこまっていた彼もだんだん方言丸出しで勢いよく語り始めました。
「そしたら○○君が『学級崩壊や!(大声)』って言ったんよ。」
学級崩壊という言葉は子ども達の間にもかなり浸透しているようです。
「そしてさぁ、先生が泣き出したんよ。そして授業が中止になってしもうたんや。」
彼は続けます。
「やっぱり、言うこときかんやつが悪いけど、先生の怒り方も甘いんよね。」
これが彼の言う証拠でした。
先生が泣いた、という事実は小学生にとって大きかったのです。
そしてその責任の一端は先生にもあると言っているのです。
元教員の僕としても何だか辛いものがありました。
自分の指導がうまくいかず、悩み、苦しんでいる所に「学級崩壊だ」と言われてしまった。
思わず涙があふれてしまったんでしょう。
そんなのは社会人として、プロの教師として失格だという意見はおそらく100%正しいでしょう。
けれど、その先生の気持ちは痛いほどわかってしまうのです。
僕自身がそんな悲しい経験を何回も味わったからだと思います。
僕は彼に言いました。
「それは『崩壊』なんかじゃないよ。今、学級を作ってる途中なんだよ。」
彼はきょとんとしています。
今度は僕が続けました。
「先生は、できるだけ叱りたくないんだ。おじちゃん(僕)も先生だったからよくわかるんだ。」
「叱らずに学級作りをしたかったんだと思うよ。それが今のところうまく行ってないだけのことだよ。」
「もしかすると、今度からは大魔神みたいに怖い先生になってしまうかもしれんぞ。」
「野球のペナントレースみたいなもんで、後半戦で調子の出てくる学級だってあるさ。」
「『崩壊』ってより『只今、工事中』だな。」
「じゃあ『学級工事中』ってこと?なんか、いいなぁ。」
僕は、とりあえず『学級崩壊』という言葉は安易に使わないぞと決意しました。
ただ、この時点では「学級崩壊なんてものはない」という確信は出来ていませんでした。
そして、今度は現職の教員である僕の友達とじっくり話し合う機会を得たのです。
彼らの生の声からは現場の大変な状況もうかがえました。
その上で「学級崩壊なんてものはない」と確信したのです。
ただ、友達との話は現在継続中の部分があるんです。
ですから、今、その全てをお伝えすることは出来ませんが、おって発信します。
いずれにしても、次回で「学級崩壊なんてない」は終了します。
あと1回だけおつきあい下さい。