「学級崩壊」なんてない その3  その1 その2

 僕と友達の現職教員とで話をしたんです。

まず、正確な単語の意味から「学級崩壊」を考えてみようということからスタートしました。
この言葉は「学級が崩壊する」ということですよね。
つまり「学級がくずれ、こわれる」という意味です。

ということは大前提として「学級」が存在していなければなりません。
存在しないものは壊しようがないからです。
「ベルリンの壁、崩壊」はベルリンの壁があったからこそ「崩壊」できたわけです。

 では「学級」は何を意味するのか。

 組織としての「学級」ならばもちろん存在します。
そこに「教員」と「児童生徒」がいるかぎり存在します。
例えば「学級会」「学級行事」などは組織としての学級をベースにした言葉です。
しかし、この「学級」は「崩壊」しませんよね。
少なくとも「教員」か「児童生徒」のどちらかがいなくならない限り存在し続けます。

 ですから、崩壊するという以上、「学級」は何らかの概念を表すはずです。
例えば僕が「『学級』とはこんなもんだ。」という概念を持ったとします。
この時点で個人概念としての「学級」は存在します。
そして現実の学級を見たとします。
そこにギャップがあったとします。
たしかに僕の「学級」という概念は間違っていたということになります。
けれど、それは僕の概念が修正されるだけのことであり、なんの問題もありません。
またこの場合の概念は個人個人でバラバラですから、そもそも共通の認識はありえません。
 結局、共通概念としての「学級」は存在し得ないのです。
存在しないものは「崩壊」しようがないのです。

 また「学級崩壊」なる言葉は「学級の秩序が崩壊する」という意味で使われる場合が多いようです。
これまた「秩序」の概念は共通に認識されうるものではありません。
仮に共通のものがあったとしても、崩壊するためには崩壊前に「秩序」がある状態が必要ですよね。
けれど「秩序」は学級経営の中で形成されていくものですから、最初に存在するものではありません。
存在しないものは崩壊しないのです。
 また最初に存在しないからこそ、これから作っていくぞっていう「学級作り」という言葉が有効になるんですよね。

 だから言語的に見て、「学級崩壊」という言葉はおかしいのです。
もし、広辞苑に載るようなことがあったとしても、おかしいのです。

 例えば、先生の注意を全く無視する児童が4人いた、とします。
教師にとって頭を悩ます問題です。
学級経営上、全体の問題としてとらえることも必要でしょう。
しかし、これは、基本的にその4人と先生の関係の問題に目を向けないと解決しませんよね。
もちろん背景として家庭がありますし、前段階としての保育教育があります。
だからこそ、よりパーソナルな問題として捉えなければなりません
そして、けっしてこの関係も「崩壊」などではない。
子どもは学級という集団に所属しているし、教師も指導を試みているのですから。
「学級崩壊」など存在しないのです。

 問題を「学級」という集団に持っていかずに、もっと個別に見ていかなければならないのです。
では、なぜ、「先生の言うことを無視する児童」が出てきたのでしょうか。
僕の友達はこう言いました。
「あんな子ども達は10年前はいなかったなぁ。」

 「学級崩壊」は存在しません。しかし何かが変わってきたことは確かです。
そして、その変化は学級経営を難しくしていることも事実です。
その事例について友達から詳しく聞きました。
後日、そのこともコラムとして発信できることと思います。

 「学級崩壊」という言葉は、たくさんの人の目を学校現場に向けさせました。
そして、現場の危機的状況の一端を警鐘をもって知らしめてくれました。
そういう意味での効果は絶大であったと思います。
しかし、今やその言葉は多くの教師を追い込んでいます。
「学級崩壊の原因の7割は教師にある」という調査結果も発表されました。
そして、教師を追い込むこと、それはけっして子どものためにならない。

 これは僕の個人的な概念の一つですが、、。
「学級とは何か壊れたものがあれば、それを修復していく神聖な力を内在するもの」だと思うんです。
だから僕の中で「学級は永遠に不滅です。」なのです。

「学級崩壊なんてない」は今回を持っておしまいです。

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