「みせかけの身長」その3

 僕は先日コラムにこう書きました。
現行の教員採用試験は「みせかけの身長」を測っているだけです。

 たくさんの方からご意見を頂きました。
多くの意見は次のようなものでした。
「自分の受けた採用試験もひどかった。」
「あのような試験で選別されてはたまらない。」
「自分の担任の臨時の先生はすばらしい人だった。」
「自分も臨時講師だが職をやめずに挑戦する。」

 その中に「では、どんな試験ならいいというのですか。丸暗記も教師にとって必要なはずです。
代案も出さずに『無責任だ』という批判も無責任な気がします。コラムにて回答を頂ければ幸いです。」
というご意見もあったのです。
 また、複数の方から「どんな試験が考えられますか。」というメールも頂きました。

 本当にありがとうございました。

 そこで、僕なりにお答えを発信することにしました。
保護者の方には退屈な面があるかも知れませんが、どうか読んで下さい。
教員がどのように採用されていくかは、保護者にとっても他人事ではないと思うんです。

 まず「丸暗記が教師に必要か。」についてです。
教師に限らず、どんな職業でも必要な場合があると思います。
けれども、すでに「教員免許」を持っている採用試験受験者に「丸暗記」をテストすることは不必要です。

 「代案のない批判は無責任だ」についてです。
僕はあの無意味な試験を受けたものの一人として、批判しないことこそ無責任だと思うんです。
そして、その批判が大きくなった時、代案を考えるのは政治家や行政官の仕事だと思っています。
それが彼らの責務なのですから。

 以上が僕のお答えです。

 けれど、僕ならこんな問題を出すなあ、って考えはあります。
教師は「問題作りのプロ」でもあるわけですから、こんな僕にも考えがあったわけです。

 教員をやっていく上で重要なことの一つに「洞察力」があります。
毎日の授業は教員の洞察力で進められていくのです。
先生が何かの問いかけをします。子どもが自分なりの答えを述べます。
教員はあらかじめ、自分の発する問いかけに子どもがどう反応するか予想しなければなりません。
そして、その反応の背景にある子どもの考えを探らなければなりません。
その繰り返しが教員の技術を高め、教育力を向上させます。

 ならば、採用試験では、ずばりその場面を問題にすればいいのではないでしょうか。
何故そうしないのか不思議でもあるんです。

 例えば、小学校の教員採用試験ならこんな問題が考えられます。
「『おじいさんになった浦島太郎はどんなことを思っているでしょう。』と子どもに問いかけた。
その時、予想される子どもの反応(考え,答え)を4つのパターンで記述しなさい。」

 どうでしょうか?
もちろん浦島太郎は皆さんがご存じだと思って例に挙げただけです。
ある作品の全部または一部を掲載して同様の問題は作れます。

 少なくとも、このような試験なら試験のために臨時講師が先生をやめる必要はないと思うんです。
それどころか子どもと接する体験が重要になってきます。
日常生活では、例えば文学作品を読むことによって人生や人間に対する洞察力が身についていきます。
作品名と作者を覚えたところで無意味ですよね。
だから自然と教員の卵たちが、子どもに目を向け、文学の中身に接していけると思うのです。
現行の採用試験は子どもに背を向け、文学の表面をたどらせるものです。

 法令だって暗記しても何にもなりません。
むしろ、法令集を試験の時に与えた方がいいです。
そして出題します。
「注意を聞かない子どもを授業中に正座させた。これは法的に認められるか。法令集をもとに答えよ」

これなら、実際に教員になってから役に立ちます。
法令なんて覚えたって毎年変わっていくんですから、覚えるより使いこなせるかです。

 必要なことを必要な時に必要に応じて学ぶ、これが学習だと思うんです。
ならば、必要なことを問うことが出題者の責任だと思うんです。

 以上が僕なりの採用試験案です。

黙っていれば今の採用試験がずっと続きます。
おかしいということをいろんな機会に訴えようと思います。

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