保護者に「叩いてもイイですよ。」と言われて、体罰を与えた仲間の教師が処分された。
その経験をふまえて僕たちの目の前の先生は言いました。
「もし、僕が体罰を与えて処分されたら、誰が責任とってくれるんですか?
僕の仲間は加害者かも知れないが、ある意味で被害者ですよ。」
地区懇談会は急に重苦しい雰囲気に包まれました。
僕は元教員です。
だから、この先生の心情もよく理解できるつもりです。
自分の仲間が真剣に教育に取り組み、その延長上に体罰を与えてしまった。
しかも、保護者からの体罰容認の声もあったと聞いている。
しかし、処分されてしまった。
同僚としては悲しい出来事だったに違い有りません。
教員だった頃、僕は保護者に「ビシビシ叩いてでも指導して下さい。」と何度も言われました。
そして、そのたびにこう答えてきました。
「お母さん、そう言ってくれるってことは僕への信頼だと受け止めます。
教員としては、とてもありがたいことです。
けれども、できたらお願いがあるんです。
学校でビシビシ叩かなければ教育できないような子にならないように家庭でビシビシして下さいよ。
僕には子どもを叩く権利はないし、そんな権利は必要もありません。」
実はこのように考えるようになったのは、僕の教員としてのただ1度の体罰経験からなのです。
新規採用教員になった僕は小学校5年生の担任になりました。
そのクラスに体も大きく、やんちゃな男の子がいたんですね。
その子を叩いて叱ったことがあるんです。
その夜、思ったんです。
僕は、この男の子が頑強そうだから叩いたんじゃないだろうか。
もし、女の子だったら叩いただろうか?
もし、ひ弱そうな子だったら叩いただろうか?
例えば障害を持つ子だったら叩いただろうか?
僕にはどの子にも同じように行うことができません。
僕という教員にとっての体罰は許されない差別的な行為だと思いました。
そして、それ以来、絶対的な体罰否定教員になりました。
僕は小学校の教員でした。僕の友人には中学校の教員もいます。
その友人は体罰について「中学は小学校のようには行かんよ。」と口癖のように言いました。
「小学生は、先生が口で怒っただけで怖がるだろ。
中学生はそんなんじゃ通用しないんや。」
そんな考えも教員にあるのは事実です。
重苦しい雰囲気の中、司会役の先生がこういったんです。
「お父さんの立場から家庭や学校での体罰について一言ありませんか?」
その先生は僕の方を向いていました。
参加していた保護者の内、父親は僕一人だったのです。
教員としての体罰観なら決まっていました。
しかし、父親としての体罰観なんて考えてもなかったのです。
僕は考えながら話すことにしました。
(その3に続きます)