「体罰(3)」 -2000/1/24- その1 その2

 教員が保護者から「叩いてもイイですよ。」と言われたから体罰を行う。
その教員の行為は無責任だと思います。
保護者が何と言おうとも、自分の判断で最良の対処を選ぶのが教員のつとめです。
ですから、その体罰によって処分されたとしても全く教員自身の責任だと思うんです。

 また、全く別の問題として教員に体罰を求める保護者も無責任だと思います。
仮に体罰が法律で禁止されていなくとも、無責任だと思うんです。
その教員を信頼しての言動だとは思うのですが、やはり、おかしいと思います。

 教師が体罰を与えなくとも大丈夫だと言える子を育てるつとめが親にはあると思うんです。
我が子を振り返ると偉そうなことは言えませんが、僕は教員に体罰を求めません。

 また、ある人間に体罰を与えるという権利は、もしあるとすればですが、、。
その人間本人のみにあるのではないかと思っていたんです。
つまり自分を叩けるのは自分自身だけだと思っていたのです。
けれど、子どもを持ってみて思いが変わりました。

 その本人さえも自身を叩く権利は無いのではないでしょうか。
そう思えるのです。

 そして、その考えをあらゆる機会に徹底していけば、あらゆる暴力が無くなる可能性がありそうです。
自殺などという悲しい事件も無くなるかも知れません。

「場合によっては体罰もいい。愛情があれば体罰もいい。」
このような言葉は正しいようで実は間違っていると思います。
「どんな場合でも体罰はいけない。」
こう教えて、大人も実践していくべきだと思うんです。

そして、力によって解決できる問題はないと教えねばなりません。

「ゲンコツを与えられる父親が少なくなった。父権の失墜だ。」
そんな言葉もよく耳にします。
でも考えれば、これこそおかしいです。
ゲンコツがなければ躾もできない、それこそが父権の失墜です。

だから僕は子どもに愚直なまでに繰り返すつもりです。

「力によって解決できる問題は存在しない。」



ご意見ご批判は今すぐメール
あなたのご意見などはHPやメールマガジンにて紹介する場合があります。
その際はすべて匿名とします。

ホームへ       語句別索引へ