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【ご意見録その18】
皆さんからいただいたご意見・ご感想です。
最近のコラムに関するものやかなり以前のものも含めてご紹介します。
たくさんの視点が僕たちの複眼を作ってくれそうです。
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●目次
【 】タイトル(テーマ)
【1】「テストについて考える」(テスト)について
【2】「学級崩壊なんてない 」(学級崩壊)について
【3】「臨界期と刷り込み」(家庭教育)について
【4】編集人ひとこと
【5】ご協力のお願い(ご意見・記事・川柳について)
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【1】「テストについて考える」について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/test1.htm )
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メルマガ購読している中学生の娘2人の母です。
テストについてのでこさんの考え、私も思っていました。
ただ、現実は、やっぱり点数なんですよねー。
とくに、子供が中学に入ると、優しかった小学校の生活が
テスト、テストの世界に変わり、順番さえつけられる。
親としての目標は、やはり、1人前の社会人として巣立たせること。
今の現実は、学歴社会への批判が高まっているとはいっても、
ある一定レベルの大学じゃないと、就職試験さえカヤの外。
人としての真心は自然と伝わるように、大切なものは何かがわかる娘に
育ててきたつもりですが、この先、やっぱり不安です。
たとえ世の中が間違っていたとしても、その中で生きていくことは必要です。
 
ご意見に対立しているのではありません。
彼女たちが育っていく中で、出会う方々の中に、一人でもそんな考えの先生と
めぐり合えたり、何かを教えていただけたら、
そして、それをキャッチできる感性をもった人間に育っていってほしいと願っています。
親もがんばらねば...。
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【2】「学級崩壊なんてない 」(学級崩壊)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/houkai1.htm )
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はじめまして。
私は広島の大学で小学校教員を目指している者です。

最近購読を始めたのですが、毎日送られてくるコラムを読むたびに、
私とは違った視点で教育を考えられていて、とても勉強になります。
「学級崩壊」についてですが、「学級崩壊」について新たな考え方、
視点を与えていただいたような気がします。
私はこれまで、「学級崩壊」という言葉を何の気無しに使い、
その言葉があることを前提にして「学級崩壊」について考えてきました。
ですが、「学級崩壊」について、やれ家庭教育が悪い、教師が悪い、
などという前に、「学級崩壊」という言葉そのものに疑問を
投げかけなくてはいけないことを、忘れていたと言う前に、考え付きませんでした。

日常あらゆる出来事を目の当たりにします。
その一つ一つをありのまま受け止めてしまうのは、今までの教育の
在り方ではなかったでしょうか。
これからは、その出来事についてちょっと立ち止まって、
「まてよ、これは本当にこう受け取ってよいものだろうか」
と考える教育が必要とされているのではないでしょうか。
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【3】「臨界期と刷り込み」(家庭教育)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/rinkaiki1.htm )
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「親の覚悟」について
方法自体が正しいか、間違っているかは、僕にはわかりません。
ただ、はいつでこさんの御両親の行動には、やはり意味があると思います。
それは、いくつかの事をはっきり、わかりやすく子供に示したからです。

一つは、物事の善悪。
次に、それをしてしまった場合の罰。
そして最後に、どんな事をしても、家族は一体だという事。
この最後が、子供が成長してゆく上で、もっとも重要ではないでしょうか。

人は、成長しつつ、他人との関係の中で他人と比較しながら「自分とはなにか?」と
いう自我同一性を確立してゆくと言います。それが確立できないと、自分自身で存在
感の感じることのできない人間になってしまいます。「透明な存在」「浮遊した存在」
の誕生です。
自分は少なくとも家族の一員である事が、はっきりしている。その事は、その存在感
を築く上で、大切な役割を果たすでしょう。

ともかく今回の話の方法は、そういった存在感を確立する方法の一つとして、重要な
意味があったかと思います。

言葉足らずですみません。
また、メールマガジン楽しみにしています。では。

(「臨界期と刷り込み」に対するご意見ありがとうございました。
 実は返信してもメールが戻ってしまうのです。
 この場をかりて、お礼を言わせて下さい。はいつより)
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【4】編集人ひとこと
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■行政関係者や教育関係審議会は、どうも、ちぐはぐな感じです。
 「英語を第2公用語にする。」という構想を発表したのはつい最近。
 今度は国語審議会が「外来語の安易な使用」に警鐘を鳴らしました。
 例えば「ユーザー」は「利用者」に、とのことです。
 「日本語によるコミュニケーションを阻害する」という理由なのです。
 でも、そう言いながら、「コミュニケーション」と使ってるのはなぜでしょうか?
 「ユーザー」も「コミュニケーション」も同じようなものだと思うのですが、、。
 いったい、この先どうなっていくのでしょうか?



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