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【ご意見録その19】
皆さんからいただいたご意見・ご感想です。
最近のコラムに関するものやかなり以前のものも含めてご紹介します。
たくさんの視点が僕たちの複眼を作ってくれそうです。
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●目次
【 】関連コラム「タイトル」(テーマ)
【1】「テストについて考える」(テスト)
【2】「政育分離 」(家庭教育・政治)
【3】「聴診器のある風景」(家庭教育)
【4】「崩れそうな聖域」(あそび)
【5】編集人ひとこと
【5】ご協力のお願い(ご意見・記事・川柳について)
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【1】関連コラム「テストについて考える
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/test1.htm )
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 意見・批判ではなく、現在日本の教育は産業化しています。産業化というのは企業が業
績や成績で判断するのと同じく学校教育現場において本来の教育という漢字の2文字の意
味が欠けているか、見失っているからです。教育というのは教え育てるということですが、
現在の学校教育の現場では人を教えるのではなく、試験の成績の成果によって、君はこの
大学あるいは高校に行けるという、まるで教師が生徒一人一人を機械の部品を扱うように
なってしまったのが今日の学校教育の荒廃を招いた一因なのかもしれません。
 私は昭和50年代の初めに大阪市内の市立工業高校に入学をしましたが、当時の高校の
進路を決定づけたのは、偏差値と内申書でした。私は成績がかんばしくなかったので職業
高校にいきましたが、当時の進路指導は成績のよくない生徒は公立の職業高校か私立の偏
差値の高くない高校に振り分けされるというまるで今から思うと本当にこんなに馬鹿げた
進路指導もあったのかと思うくらいです。
 そこでは教師はまるで生徒を部品をあつかうかのように、おまえの成績はこれだからこ
の学校が適当であるとか、この偏差値だとこの学校がいいといふうに振り分けをする、当
時はまだ業者が行っていたテストの結果によって教師がその生徒ひとり、ひとりの進路を
決定していた時期でした。当時はそれでよかったのかもしれませんが、今日学校教育の現
場において、高校に進学しても退学者が増えつづけたり、いじめ、校内暴力などの記事が
新聞紙上で取り上げられる背景にあるのは根本的には、教育行政がこのように無為無乾燥
になってしまった。つまり学校サイド(教える側)が企業化してしまい生徒をひとつの機
械の部品として見た結果、今日の学校教育における荒廃が浸透したのではないかと思える
のです。それと塾や予備校などの産業が多くありますが、裏を返せば公教育で教えている
学校教育が不充分であるからああいう産業が伸びる背景があるのかもしれません、これは
教育に従事する人に是非危機意識を持ってほしいと思います。
 最後にひとつ付け加えて終わりにしたいと思います。私が進学した大阪市立の工業高校
は当時1学年360名入学して卒業までに100名前後が退学してゆきました。これは8
〜9割相当がミスマッチにあたると思いまし、昭和50年代初めの職業高校は大変生徒自
体があれていて授業どころではなく、それこそ現在巷で話題になる学級崩壊が頻発してお
りました。これからこういう教育をしてほしくないと思いメールを送付した次第です。
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【2】関連コラム「政育分離 」(家庭教育・政治)
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/seiikubunri.htm )
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今回の森発言は非常に中途半端だと思うのです。
釈明開顕には期待していたのですががっかりです。

私が思うに、日本の神様は「おいしんぼ」風に言うと「至高の人」「究極の人」とい
う思いがします。
神社の御祭神はほとんど実在の人物ですよね。菅原道真なんか罪人でありながら祭ら
れてます。
もっとも彼の場合は、たたりを恐れてですけど。

よく靖国神社の政治家の公式参拝が問題になりますが、あそこに奉られているのは戦
死者、殉死者でこれも人間です。
宗旨や出生、身分の差もなく奉られています。
たしか外国人も奉られていたのでは?(未確認)

西洋の「ゴッド」と日本の「神」とはその概念はまったく違うと思うのです。

なによりそれを物語るには、かのフランシスコザビエルが「ゴッド」を「神」とは訳
さなかったことでも明らかだと思います。
このへんのことは西尾幹二氏の「国民の歴史」を読んでみてください。

古来日本人が言う「神」は万物の創造主ではけっしてなく、ましてや人間を超越した
ものでもなく人間の延長上にあると考えていたとおもいます。
いや、自然界のあらゆるものに神の存在を信じていたと思います。
神話の世界ではおしっこの神様までいたようです。
だから八百万(やおよろず)も神様がいるとなってるのでしょう

戦前日本の過ちはそうした祭祀の中心である天皇をまるで西洋のゴッドのように祭り
上げてしまったことだと思います。
「唯一人のゴッド」を信仰している人たちからはとんでもないことでしょう。
天皇はそんな祭祀の中心であったわけですが「神=ゴッド」の連合軍にとっては排除
しなければならないものでわざわざ人間宣言なるものを行なわせたのでしょう。

まあ以上のような考えは色んなところで出ているのでしょうが、メジャーなマスコミ
は取り上げることもないでしょう。
神に対する概念の論争がもっと出てきてほしかったのですが、あの記者会見ではだめ
ですね。

「家訓」を「家庭のモットー」とされているのはナイスだと思いますよ。
意味は変わらないですもんね。
戦前は女性が虐げられていたとか子供は親の言いなりであったとか良く言います。
そういう面も認めるのですが、私の大好きな上方古典落語に出てくる女性や子供はす
ごくいきいきしています。
家族のつながりもあたたかさももっとあったように思えてなりません。

私はよくこういうことを言うので、戦前肯定派と思われがちです。
どうして人はレッテルを貼りたがるのかな?
戦前の日本や天皇を少しでも擁護する発言をすると右翼なのでしょうか?

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【3】関連コラム「聴診器のある風景」(家庭教育)
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/tyousinki1.htm )
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いつも参考にして読ませて頂いております。
 6月8日配信の『「聴診器のある風景」について』を読んで、
少し疑問に思うことがあり,投稿しました。
 まず、「以心伝心」は出来るはずもないなんて言えますか?
十分ありうることではないですか。問題なのは、教師や親が
「以心伝心」のみを頼りに、子どもを理解しようとするところに
あるのではないでしょうか。
大人が抱く,子どもに育みたいことというのは,自然と伝わっていく
ということは十分に考えられます。
決して言葉が全能なわけではなく,やはり,心の関わり合いも,
子どもと大人の関係においては,視野に入れておくべきことではないでしょうか。
 つぎに、「アンテナ型」「聴診器型」についてです。
この2つは共に必要はことであるという点においては、
6月8日の投稿の方と同じ考え方です。

 教師は,常日頃から積極的に子ども達と関わり,子ども達の話に耳を傾け,
彼らの抱える悩みや問題を敏感に捉え、共に考え,行動していこうと,努
力するものなのではないでしょうか。
「異常を感じ」てから,働きかけるのでは、とても遅いのではないでしょうか。
また,内面を引き出すというのも,簡単に出来るのであれば,子どもも教師も
苦労しません。
日々の行動,発言,つぶやきや体の具合など、それらすべてが子どもの内面を象
徴しているものと捉えなければならないのではないでしょうか。
 子どもと直接・間接に関わることをいわば『診察型』などとして捉えたいですね。
見ているだけでも,働きかけるだけでも,足りない。目で耳で言葉で心で体で,子
どもを理解していこうとする態度が、教師には望まれるのではないかと,私は考えます。
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【4】関連コラム「崩れそうな聖域」(あそび)
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/seiiki.htm )
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楽しかね〜、おもろいっすわ〜てなかんじで、いつも読んでいます。
しかしながら、こんかいの聖域の話しは、ちょっと違うかな〜と思いました。

ロープレの話しと現実の話しは、比較できませんよ。
わりきっていますからね。ゲームはやっぱりゲームって。
経験値もっとかせがんとレベルがあがらんな〜とか、現実では頭のすみっこにもないですよ。

失敗したら、勉強不足だなとか、もっと経験つまんといかんなとかですよ。
子供をばかにしちゃーいかんばい。
ちゃんと、僕も日々勉強してますから。
一度死んだら生き返れませんからね。
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【5】編集人ひとこと
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■僕のパソコンのインターネット接続ソフトが壊れてしまいました。
 メールを読むことも、HPを見ることもできなくなってしまいました。
 その間このコラムの発信もできませんでした。
 僕の活動の弱さをつくづく知りました。
 インターネットは素晴らしい機会を個人に提供してくれたと思います。
 けれども、僕にとっては、それは非常に脆弱な土壌であることも事実でした。
 たった一つのソフトに大きく左右されるものだったのです。
 ようやく、今日、再開できました。
 知人がパソコンをかしてくれたのです。
 接続できなかった間、いただいたメールに返信もできずにいたこと、お詫びします。
 どうぞ、お許し下さい。



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