現勤務校(高校)は教員同士の派閥争いのはてに教育を完全に放棄
してしまったような状態が長く続いているような状況で、
職場の未来を考えるといつも落ち込んでしまいます。
まだやる気を失っていない同僚と教育を語ったところで、
愚痴で終わってしまっているような気がします。
ただ生徒は本当にかわいらしく元気をくれます。
さて次の部分について
■引用部分-------------------------------------------
よく「社会に出れば競争の世の中だから」という理由で、
子どもの競争を肯定する意見があります。
でも、それは社会の方がおかしいのです。
おかしい方に合わせて教育をゆがめることはないですよね。
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社会とは歪んでいるとかおかしいとかいうことのできる対象なのでしょうか。
そこに今あるものが社会なのではないかと思ってしまうのですが。
歴史的にみても教育(学校教育)は個人の幸せのためでなく、社会の要望に応じて発
生したものではないのでしょうか。
”歪んでいる”社会を生きていくための”生きる力”の育成が叫ばれているのではな
いかと思うのですが。
ただ小学校でテストの得点は必要ないという意見には賛成です。
弱輩者の生意気な意見でした。
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【2】関連コラム「本音はどこにある」(競争)
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/HONNE.htm
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なんだかキュンと切なくなりました。
自分はたぶん、二重?or多重人格でしょうねー。
今、それなりに幸せでいるからきれいごとも堂々と
ポリシーのように思えているけど、
何かにつまづいたときも、そういう気持ちでいられるか!?
自信はないですねー。
会社や近所で知ったり聞いたりする、ちょっと不幸な話は
「あー自分じゃなくてよかった」という本音が入り混じり、
蜜の味?がする...。
それに比べりゃ、幸せだーって思ってしまう。
でも、このごろ、そんな風に計り合っても
さわやかな満足感が得られないことをようやく知ったんで、
自然体でいられることが多くなってきたような...。
そんな自分はちょっと好きです。
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【3】関連コラム「ばあちゃんのホイッスル」(お年寄り)
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/baatyan.htm )
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今だからいえますが、私も子供の頃にやいとを据えられた経験があります。
おばあちゃんの脅しのやいとではなく、本当のもぐさに火をつけるやいと、
今はそういう子供は少ないのかもしれませんが、
小学校の5年生の頃まで時々ではありますが、おねしょをしていました。
卒業旅行は3泊4日、ここでおねしょでもしたら大変というわけで、
やいとをするのが一番いいということになったのでしょう。
町の灸の治療院(なんといったかな?)で、下腹部と腰にやいとをすえられ
ました。
一番最初の時の熱さは今でも覚えています。
2,3日に一度づつ、半月ぐらい続けたと思います。
結構大きなもぐさだったと見えて、今でもはっきりと鉛筆の軸ぐらいの跡が、
下腹部に4点、腰にも4点残っています。
卒業旅行の時はやいとの効果があったのかおねしょはしなくてすみましたが、
入浴の時に何人かの友達にやいとの跡を見つけられて、結構恥ずかしい思い
をしたものです。
かなり昔の懐かしい思い出。
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【4】編集人ひとこと
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今朝の新聞の見出しには驚かされました。
「参院本会議・野党ぬきで可決・国会正常化の方向へ」。
野党ぬきで可決したら、国会が大混乱の方向へ向かうんじゃないのかなあ。
それが普通なんじゃないかなあ。
これが立法府だから、喜劇的な悲劇だと思います。
こんな大人社会を子ども達は絶対見てると思います。
でも、きっと、そのうち見ることもやめちゃいますよね。