きっとお兄ちゃん・お姉ちゃんの真似でしょうね。で、教室で生意気に
もそれを言ってみるわけです。
たまりかねた知子先生
先生 ちょっと、○○君、連絡帳(宿題を書いたり家庭との連絡などを書く
ノート)をもっておいで
こども 先生、何書くん?
先生 あなたはしょちゅう【むかつく・むかつく】と言っているでしょ
だから、「お子さんは学校でいつも【むかつく】と言ってますから
病気かもしれませんので、一度お医者さんにみてもらってください」
と書くの。
こども やめて、おかん(お母さん)にどづかれる(たたかれる)ワ。
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【3】関連コラム「保護者卒業の日」(家庭教育・成人の日)
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/hogosyasotugyo.htm
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成人式は一つの通過儀礼です。未開と言われている(本当は、私たちの社会の方が
未開の部分が多い)社会でははっきりとした形で現れるのですが、モラトリアム
(猶予期間)が長くなった日本では一人前になるのがいつなのか解らなくなってます。
子どもは成長していくので、いつから大人か判りません。しかし、どこかで区切りを
付ける必要があります。それが通過儀礼”成人式”です。日本で言えば、かつての
元服です。「社会」というシステムの入り口であることは間違いありません。
しかしながら、今の成人式を見ていると、どこにも大人が見当たりません。この前
報道されていたのを読むと、式の最中にクラッカーを鳴らしたそうです。こういう
場合は注意するのではなくて、『たしなめる』のが大人の態度です。「成人の日を
祝ってくれてありがとう。でも、今は結婚式なら神様への誓いをするところ
だから静かに(厳かに)聞いておくように。その後でおもいっきり成人になったことを
祝ってくれたまえ」とでも言っておけば式の妨害にはならなかったはずです。
大人というのは、知恵が付き賢くなったから、「なる」ものではなく社会から
「大人と」認めてもらった人のことです。ですから、偉いと言われる人の話を
聞いて学ぶような、今の成人式は成人式ではありません。
もっとも、自分達に連休が欲しいから、儀式なのに「一月の第一月曜日」と決めて
しまうこと自体がおかしいのです。
長々と書いてしまいましたが、成人式は必要なことだが今の成人式はその体を
成してないので違和感があるのだと思います。