母は、ビクビクしていた私を簡単に見破った。「お父さんに謝りなさい」
と、母は言った。父は酒を飲んでいた。殴られるのが怖かったが、母と一
緒に謝った。父は叱らなかった。何も言わないで、酒を飲み続けた。
「kyouji、いいクレヨンを買ってもらったな」と、KH先生が言った。
父が怒らなかったのだから、父が買ってくれたのだった。とても嬉しかっ
たことを覚えている。
そして、・・・・「kyouji、お前の絵を県展に出すからな」と、KH先
生に言われた。信じられないことが続いた。県展で入賞、賞品をもらって
しまったのだった。
◆ KH先生は言った。「俺は風景・品物・人をそのまま描くのは好きで
はない。そのまま描くなら写真を撮ればいい。自分自身で感じたことを、
絵で表現してほしいのだ。kyoujiの絵には、お前の考えがしっかり描いて
あったから、俺は好きだった」。私が教員になってから聞いた話だ。当時
は「恥ずかしい」気持ちが強すぎた。自分に絵が描けるはずがないと思っ
ていた。全く関係ないことだが、私の妻の兄は画家である。今でも「絵へ
のあこがれ」はある。
さらに驚くことが続いた。3学期の成績が「オール5」だった。(★3
年生から評価方法が変わった)
1学期・2学期は「オール1」だった。そんな事、あるはずがない・・
一笑されるだろうが、事実である。生活の記録は、「自制心」はB(普通)
だったが、そのほかはA(優秀)だった。そして、「成績優秀賞」をもら
った。
私は「先生になる」ことに決めた。KH先生のような先生になることを。
教員生活5年後、KH先生に聞いた:
私 : 先生、どうしてオール5にしたんですか。
KH先生: お前は、自分で考えたからだよ。試験の点数だって
よかったからオール5にしたんだ。
私 : 校長に怒られませんでしたか。
KH先生: 職員会議は大騒ぎだったよ。でもな、俺は絶対引き
下がる気はなかったよ。3学期の試験の点数なんかも、
全部見せたんだ。最後は、校長も認めたよ。
KH先生は中途辞職した。教頭試験を受けるように校長に言われたから
だった。「俺は管理職には向いてないからな」と、KH先生は言った。世
間の噂では、KH先生は「酒癖が悪くて、辞めさせられた」そうだ。事実
は、「絵を描きたかった」からだった。
(了)
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【5】編集人ひとこと
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kyoujiさんのような一生に大きく影響する出会いもあります。
その出会いは、あまりに熱い、深い出会いだったことなのでしょうね。
また先生に限らず、子ども達はいろんな出会いをします。
学校だけが子ども達の場ではないので当然のことです。
ただ、僕らも含めて、出会いを選ぶことはできませんよね。
それは、僕らにとってまさに天の配剤であるんだなあ、そんなふうに思います。
以前に教師と子どもの出会いをテーマに書いたことがあります。
ご意見をいただけたら幸せです。
「4学期」
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/4gakki1.htm
「天の配剤」
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/tennohaizai1.htm