結論から言って日本の学校には教員に対するフィードバックというものが欠落している
が故に現在の状態に帰結しているのではないかと思います。
私の近所にも多くの教師をしている方がおりますが、
その多くは民間の感覚とは違った感覚を持って生活しておられるので驚かされる事も多いのですが、
よく考えてみると学生から社会経験と言う物なしに先生になってしまった方が
ほとんどの職場で外部との(父兄等との)接触が極端に少ない環境で活動しているのだから
当たり前と言えば当たり前だと納得させられます。
以前、オハイオ州立大学で講議を受けた時の事です。
講議の後で非常に細かい調査票を受け取りサインさせられた事が有りました。
オハイオ州立大学は非常に広大な敷地の中に校舎が点在するように立っていて
小学校から大学迄揃っています。
敷地内にはセサミストリートという番組を作るスタジオもあり
(あちこちの大学や制作会社で分割して制作されるそうです)、
敷地内を2分割するように鉄道が走っています。
学術的にも重要なポジションに有り全米化学協会のデータベースがここにあり
世界中の化学物質に関するデータが揃っています。
調査票は講議を受けると各学期を単位として配られます。
内容は非常に具体的かつ詳細で項目数も多く書き込むだけで1時間近くかかったように思いました。
調査には個人のサインが入り内容に責任を持たされます。
調査内容は教員に対する物です。
「はずれ」か「あたり」かと言う物ではなく、「先生の話は聞き取りやすいか」
「声の大きさは大きいか、小さいか」「内容は分かりやすいか」「内容は簡単か難しいか」
「興味が持てたか」....とになく細かい。
つまり細かく質問する事で年令の低い子供でも客観的な評価を得られるようになっているわけですね。
調査結果は評価に直結する事も有りますが子供達学生は自分をどのように感じているか
と言う資料にもなり今後の教員生活にプラスとなっているそうです。
内容は多角的で、どうでも良いような内容も中には有ります。
「先生の服装は好感が持てるか」おおきなお世話と言いたい所でしょうが、
小学生と言えども学費を払ってきていただいているお客様と考えれば納得できる質問ですね。
ふりかえって父兄と呼ばれるようになった今、自分の子供の通う学校の教員を見わたしてみるに
問題教師(はずれの教員)と呼ばれても痛くも痒くもない方が多すぎます。
今の私の子供の担任は去年、学級新聞の文字に誤字脱字が多すぎると父兄から指摘されました。
一度指摘されただけなのですが「私には誤字脱字を無くす事は出来ないと思う」という理由から
学校新聞を廃止しました。
おかげで学級で何が起こっているのか父兄が知る事は子供の口を通して以外来なくなりました。
当然の事ながら父兄等からの反発の声が上がりましたが休職届けを出して半年間休みました。
普通の感覚ではクビだと思うのですが、今は私の子供の担任です。
学校との連絡に使う連絡帳に担任がコメントする事はほとんどありません。
コメントなんてしなくても学級新聞を出さなくても担任は何も困りません。
楽なだけ。少しは学生や父兄からの強制的なフィードバックを受けざるを得ないように
ならない物でしょうかとも思いますがいかがな物でしょうか...
「はずれの教員」は父兄が作る部分は少ないと思います。
むしろ学校のシステムの問題だと思います。
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【2】「昨年同様」(家庭訪問・学校行事)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/sakunendouyou.htm )
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どこでお会いするのがよいですか」という問いかけをするということ、また学校
が何でも「昨年通りにする」ということへのご批判にはどちらにも賛成です。
ある有名な先生、ことさら固有名詞をいう必要もありませんから、「ある先生」と
しておきます。
その方が、現職の先生を対象に教育評価についての講演をなさったおしまいに、ご
自分の
留学体験を話されました。
ある世界的大家に、ご指導のお礼を述べられた後、「これから国に帰るのですが、
学校教育を根本的に活性化する決め手のようなものがあるとすれば、例えばどんな
ことでしょうか」というような意味の質問をされたところ、その大先生は、「スク
ール・バーニング・システム」と答えられたそうです。その心は、毎年毎年、昨年
までの学校はすべて焼けた、あるいはすべて焼いてしまったという気持ちで、常に
心を新しくしてゼロからスタートする。先ず目の前の子どもを見て、それから最適
のベストのやり方を考えること。例年通り、というイイジーゴーイングなやり方は
避ける。その心意気こそ学校活性化、教育再生の道である、ということです。いわ
れてみれば日本の学校にはなんと根深くマンネリズムがはびこっていることでしょ
う。ある人が間違えて大まじめに「万年リズム」といつもいっていましたが、実に
笑えぬ奇しき一致です。
私は、教職48年目、中学の教師から始めて、今は私立の大学で講義をしていま
すが、講義のノートは毎年新しく作成してきました。正直なところ整理下手で記録
を散逸させてしまったことも原因ですが。結果的にはノートバーニングでした。来
年は70才で定年でリタイヤですが、人生バーニングシステム、自分で自分の過去
を火葬にして過去を引きずらず新しく出直したいと思いつつ毎回最後の講義に全力
投球しています。
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【3】「カンニング」(テスト)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/CANNING.htm )
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/test1.htm )
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ポーランドでは、成績表に載るときだけではなく、
普段の小テストから全て、6段階評価がされます。
テストには点数がないのです。
でもこれも、生徒の反応は同じです。
自分がどうして間違えたかとかいうよりも、
総合評価の数字を気にするわけですから。
はいつでこさんの言うように、子供にとって「励み」にもなると同時に、
「高得点至上主義」を押しつける結果になってると思います。
ポーランドの学校の先生たちは、
日本と比べるとものすごくたくさんテストをします。
生徒たちは毎日何かしらのテストがあります。
先生たちは、口々に「テストしないと生徒は勉強しない。」
というのです。
そういうことを言う教師たちに釈然としない思いを抱いていました。
教師のやりがいは、いかにして子供に「学ぶ喜び」を伝えるか
ということにあるような気がしますが、理想論でしょうか。
これからもメールの配信を楽しみにしてます。
最後にもう一度、返信ありがとうございました。
一読者より
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【4】編集人ひとこと
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■報道によりますとコンビニが子どものほっとする居場所なのだそうです。
そう言えば、僕も子どもの頃、駄菓子屋さんが好きで行っていました。
でも、中学になったらとんと行かなくなったものですが、、。
■思わずうなった子どもの発言集(4)
場面:熱の対流の学習中にKくん。
「なんで水は下から氷にならんの?冷たい方が重いはずやろ。」