今日は「小学校選択制度」
について感じたことをお便りさせていただきます。
■引用部分-------------------------
僕はこの選択制度に大賛成なのです。
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実は、私も選択制度賛成派でした。
でも何故かといわれれば、この問題に関して私自身まだ未消化で、
迷いがありました。
「でも、今の制度はおかしい…」という程度で。
■引用部分-------------------------
「じゃあ、現行のようにそこに住んでいると言うだけの理由で
学校を決められてしまうのがいいのか。」
「それが保護者にとっても平等でいいじゃないか。」
「でも、どの保護者も学校が選べるなら、それも平等じゃないか。」
と言うと黙り込んでしまいました。
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「平等」という言葉では、まだしっくりしませんでした。
本当に、どの保護者やどの子どもにも平等な社会なんてないだろうと思うからです。
でも、いわゆる「平等が幸せである。」とも考えられないのですが…。
それはさておき、
私にこの問題の解決の糸口を見つけさせていただいたのは次の意見です。
■引用部分-------------------------
この制度は表面的には保護者に選択権を与えるものです。
しかし、実は保護者に「選択する義務」をも与えているのです。
けっしてアイドルの人気投票のように無責任に選べるものではないのです。
つまり、僕たち保護者は今までなら「学校が悪い」と言っていれば良かった
面がありました。
言葉を換えれば、ある種の責任転嫁が可能だったのです。
けれども今回の「選択する義務」はその言い訳を奪ってしまうのです。
「そんな学校を選んだ保護者が悪い。」となるからです。
選択制は僕たち保護者の学校教育における責任をよりはっきりさせてくれます。
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今、日本の社会が求められているのは、この姿勢だと思います。
例えば、医療の社会では、
「インフォームドコンセント」や「診療情報開示」の問題がそれです。
いままでのお任せ医療から、患者さんが充分な情報を得て、
自分の受ける医療を自己決定していくことが求められています。
医療従事者も、それに対応できる意識の変革が求められています。
選ばれること、情報を共有していくことは、
個人に「選択の自由」を与えているだけでなく、「自己決定に伴う責任」をも
与えていると思います。
自分の受ける医療の質の良し悪しを人のせいにしない、ということでしょう。
お互いにもっと自分(個)を大切に考えましょう、ということではないでしょうか。
自分(子ども)の生き方(育ち方)を人のせい(学校のせい)にするのはやめましょう
ということなのかもしれません。
先日、テレビで、学校の教師の経験もあるダニエルさんが言っていました。
子育ては「命」だと。
人任せ、学校任せ、にはできない、親にとって命がけの問題だと…。
■引用部分-------------------------
この選択制は確実に広がります。
そして、学校選択だけでなく、給食制度や就学年齢も選択制へと変わるはずです。
さらに最終的には義務教育そのものが選択制となるでしょう。
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そうなる日が早く来るといいな、と心待ちにしています。
そのためにも、自分の思いをはっきりと表示し、人の思いも受け止められるように
なっていきたいものです。
親も子も…。
(了)
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編集人ひとこと
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選択制は「権利」を与えるだけのものではないと思います。
実は選択制は「選択責任」を与えるものだと信じています。
もちろんすべての権利は責任を伴うものでしょうが、
この選択責任は義務教育における重要なポイントだと思います。
過去に何度か「選択制」について書いてきました。
もし、よろしければ、ご意見よろしくお願いします。
■「入学おめでとう」を考える
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/nyugaku.htm
■「どっちが選ぶ」(就学年齢)
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/dochigaerabu.htm
■選択給食へ
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/kyuusyoku.htm