教師の授業能力を査定するという流れを受けての今回のお題だと思います。
間違っていたらごめんなさい。
確かにプロである教師の能力を素人である保護者が採点するというのは無理が有ると私も思います。
しかし、今までの教師のやり方では通用しなくなってきているというのも現実だと思います。
それは、今までのやり方がまずかったということではなくて、
他のやり方が必要とされてきているという意味においてです。
教師の仕事というのは、まさに対人間(さらに子供)の仕事で、
究極のサービス業といえるのではないでしょうか。
そうであるならば、対する人間によって千差万別方法を変えていかなければいけません。
同じやり方が万人に通用するなんていうことは、ありえません。
毎年毎年、教師としての自分のスタイルを変えていく勇気が必要なんだと思います。
しかし、そういう先生を私は見たことがありません。
(もちろん特例はあるでしょうが)
このこれまでの教師のスタイルに異を唱えられている内の一つが保護者採点なんだと思います。
塾や予備校などでは、生徒による講師の評価で講師の給料が決まるというのは、当たり前です。
大学などでも、僅かですが生徒による教師の授業評価が始まっています。
私立の学校などでは、よりシビアに教師の授業能力というのは査定されているでしょう。
そして、義務教育といえどもその流れには逆らえないと思います。
しかし、小学校や中学校で生徒による教師の評価というのも難しいでしょう。
授業以外の人気に左右されそうな気がします。
どういう方法で教師の能力を評価するのがベターだと思われますか。
私は、現状からの移行を考えるに
ティームティーチングが有効に働くように考えています。
それでは、失礼します。
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【2】「しょうもない3年間」について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/3nennkann.htm)
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こんにちわ、でこさん。
毎日、読ませて頂いています。
今回は、「しょうもない3年間」について、
自分が感じた事をお伝えしたいと思いました。
私は、今年、採用試験を合格し、採用待ちの身分です。
今回のメールを読んで、考えさせられました。
きっと、私も、「ケガ人はいないか?」とは、出てこないと思います。
頭をガーンと、叩かれた気分でした。
実際に現場に立つまでに、改めて大切な事を、
教えていただきました。
ありがとうございました。
しかし、気になったこともあります。
教師として、相手に不快を与えるような物言いは、
納得がいきませんでした。
私自身、このメールを読ませて頂いて、
先輩教師の物言いに、不快を感じました。
いくら、その人のためを思って言う言葉であっても、
言い方次第で、相手に伝わらない事が有ると思うんです。
これはとくに、子供に対して当てはまるんじゃないでしょうか?
本当に、親御さんから預かっていると思うのなら、
誰に対しても、相手の立場や、気持ちを考えて言葉を
選べると思うんです。
偉そうな事を言ってしまいましたが、
私自身が、気をつけたいと思ったことでした。
独り善がりな事かもしれませんが、読んでいただけたら、
うれしいです。
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【3】「悲しい関係」について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/kanasiikannkei.htm)
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2000/1/31の「悲しい関係」を拝読させて頂きました。
鈴木君のお話、感動しました。
そして、本当に悲しい関係に胃が痛くなる時のことを思い出しました。
分からないものに対する偏見、恐怖、誰にでもあることと思います。
それらを生じさせる根本について論じることは、私には到底出来ません
し、何よりも今を、どう考えて、どう感じて、どう行動していくかの方が
私にとっては非常に重要な課題だと思っております。ですから、広い意味
での教育という観点から、常々感じる悲しい関係について意見を述べさせ
て頂きたいと思います。
私は、障害者の方と接する時は、できる限りその相手が伝えたいことを
私自身が分かるまでひたすら聞きます。そういう時は、無駄なことだと
言われんばかりの視線を周囲から浴びます。確かに、ちょっと気を利かせ
れば、例えば何かを食べるときなどは、箸よりもフォークやスプーンを
渡すことを思いついて相手に渡すことは出来ます。しかし、私はそれだけ
はしたくないんです。なぜなら、それはただの親切の押し売りにしか私に
は思えないからです。
障害者に対してのこの私の接し方は、口頭で言われ無いにしても、非難
されているようです。しかし、ボランティアをやっておられる方にお話し
たところ、それで良いとおっしゃって下さいました。それで少しは勇気が
出たのですが、その勇気というのはそういった周囲の目に対しての勇気で
あって、なんだかやるせない思いです。
私の小学校時代も、特殊学級がありました。今から思えば、完全に隔離
されている状態でした。接する機会というものはほとんどありません。
先生方に限らずですが、教えられたようなことで思い出せることは、可哀想
な人たちだということだけです。
障害者の方で、こんなことをおっしゃっておられた方がいらっしゃるそ
うです。「これが、私の個性だ。」と。私は、個性とは誰かとは違う自分
ということではなく、社会との関係、具体的には家族、友人、職場など、
そういった中で私というものが何らかの関係でつながっていて生きている、
それが個性だと思っています。ですから、障害に限らず、生きていて抱い
ている何らかの悩みも、その人の個性なのではないかと思っています。
悩んでいる、確かに可哀想です。そういったことに対して、何か手を差
し伸べることは簡単にできます。確かに素晴らしいことだと思います。
しかし、簡単にできてしまうことなんだと思っています。お金に困ってい
る人に、お金を貸してしまうことに近い部分もあるのではと思っています。
何か行動してしまいたいとき、それは私の自己満足のためなのではと思
えて仕方がないときがあります。つまり、私が納得したいがために余計な
ことをしてしまうのではないかということです。それは相手にとってみれ
ば、有り難迷惑かもしれませんし、何より、私がそれで満足しようとした
ら、それはもうその人との関係を切ってしまうことと同等のことになりか
ねないと思います。ですから、簡単には動かない、出来る限りお話を拝聴
し、ただそこに生きたいと思っています。
何とも偉そうなことを申し上げてしまいまして、申し訳ございません。
しかし、こういった悲しい関係を考えるきっかけを与えて下さいました
ことを、重ねて御礼申し上げます。ありがとうございます。
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【4】「体罰」について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/taibatsu1.htm)
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「教育コラム」快調ですね。
思わず我が意を得たりと うなづくときがあります。
最近では、「看板に偽りあり」です。また、「体罰」「避けてきた道」
は 正直な気持ちと洞察力で 「そうだよなあ」と思いました。
ボクが現職のときに自戒(というほどでないですがね)したことは
「先生、うちの子バシバシ叩いてください」という保護者の子は
けっして叩かないようにしました。---まあ、どの子も叩いたりは
しないのがあたりまえですがね。
教師をした人はこの“体罰”にひとつやふたつの胸の痛い思い出が
あるのではないでしょうか。人を叩くっていい気分のものではない
ですもんね。
先日の日教組教育研究大会の新聞記事の「教師は世間知らず」につ
いて読み、はいつさんの文をすぐ思い出しました。しかし、はいつ
さんの「世間知らずでいいのでは」との発想は見られませんでした。
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【5】「素敵な先生」について
http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/suteki1.htm
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初めまして。
先週からこのコラムを購読していますが、毎回興味を持って読ませて頂いています。
今日、バックナンバーを検索していたところ、「先生」とは子供の先を生むという意
味であるというコラムを読みました。
私は、現在高校の臨時講師をしており、教員採用試験を今年ようやく突破して、来年
度からの本採用が決まったところです。
講師歴6年、7回目の試験でした。
(教員採用試験に対するコラムもとても共感して読みました。)
今まで、苦しみ、迷いながら、とにかく本採用にならないと自分が本当にやりたいこ
とはできないんだと自分に言い聞かせ、4月から7月までの間は、仕事を最小限度に押
さえて、受験勉強をしてきました。
目の前の子供達に対する罪悪感を抱えながらの受験勉強の月日は、本当につらいもの
でした。
いわゆる、講師ズレ、という言葉がありますが、講師を長く続けていると、いつのま
にか要領よく手を抜くことを覚えざるを得なくなってしまいます。
私もそうはなるまいと思いつつ、いつのまにかそれを覚えてしまいました。
「子供の先を生む」
この言葉は、今後ずっと胸に大事に抱いていきたいと思います。
それだけの責任を思いつつ、常に真摯に目の前の生徒たちに向かっていく教員であり
たい。
はいつさんは、教員は世間知らずでいいとコラムに書いてらっしゃいましたが、私は
それには少し疑問を感じています。
一度採用になったら、どんなにいいかげんな仕事ぶりでも決して首にならない、公務
員の世界は、やはりどこかゆがんでいて、しかも、教員の世界にお互いを高めていく
システムがないような気がするのです。
管理職以下横並び一線の鍋蓋社会で、傲慢になって行く人はかなりの割合に上る気が
します。(もちろんそうならない方もたくさんいます)
特に高校は、これから直接社会に出て行く生徒に社会常識一般の指導もします。
自分も含めて、学校を卒業してすぐまた学校という職場についたのでは頭ではわかっ
ているつもりでも身についていない社会常識は多いのではないでしょうか。
学問の世界を追求する、大学教授とは少し異なり、教員の世間知らずは、子供や保護
者の信頼を失う事になるように思います。
今後も、このコラムを楽しみに読ませていただきます。
「先生」の意味を心に深く受け止めて、今後も頑張っていきたいと思います。
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【6】編集人ひとこと
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【1】プロの誇り:先生に対する視線は厳しくなる一方です。問題を起こしすぎですから、、。
【2】しょうもない3年間:4月からの素敵な先生の誕生を期待しています。
【3】悲しい関係:学校現場が差別の芽を生んでいることは、悲しい事実だと思います。
【4】体罰:このご意見を下さった方は、退職後の教師の人生を僕に示唆してくれました。
【5】素敵な先生:「先を生む」という言葉をN(元)先生から教わり僕も感動しました。